No.1:齋藤 桂太
Keita Saito
桂はり・きゅう整骨院の院長をしております齋藤桂太と申します。
患者様一人一人を大切にし地域に根付く医療を目指して精一杯頑張っていきたいとい思います。
プロフィール
【名前】齋藤 桂太(さいとう けいた)
【ニックネーム】院長、パン
【誕生日】9月30日
【趣味】治療の勉強、漫画読み
【特技】バスケット
【座右の銘】
「初心忘るべからず」「一期一会」
【好きな筋肉】下腿三頭筋・上腕二頭筋
【好きな骨】圧倒的に膝蓋骨
【好きなブランド】
underarmor JORDAN BRAND
【好きな食べ物】
ただいまダイエット中 お酒は我慢できたのにカレーは我慢できなかった=カレーが1番!
経 歴
- 福島県郡山市生まれ
- 日本大学東北高校卒業
- 2005年:福島医療専門学校柔道整復師科卒業
「柔道整復師」免許取得 - 福島医療専門学校鍼灸師科卒業
「鍼師・灸師」免許取得 - 福島医療専門学校第一附属整骨院勤務
- つつみ鍼灸整骨院 勤務
- 福島医療第二附属整骨院 福寿会整骨院勤務
- ラソラックス鍼灸整骨院 勤務
- 2010年:桂はりきゅう整骨院 開業
ライセンス
★ 柔道整復師(国家資格)
★ はり師・きゅう師(国家資格)
★ active release technic. provider full body
★ SFMA FMS PRI NKT
★ EBFA Bear foot. Smart. Tools
★ JPFC. Foot. Care master
★ 福島県体育協会認定アスレティックトレーナー
現在の院外活動
:形式的に必要
- 福島県バスケットボール国体チーム(成年男子・成年女子・少年男子)
- 福島県サッカー国体チーム (少年男子)
- 福島県バレーボール国体チーム(成年男子)
- 福島県立福島工業高校サッカー部
- 日本大学東北高校バスケットボール部
- バレーボールTeam
- 福島教員Team
<その他>
- 各種目高校スポーツ大会のサポート
- スポーツ少年団大会サポート
- 各種指導者講習会講師
ヒストリー
小学生の頃からバスケットボールを始めて、今現在もクラブチームでバスケットボールを楽しんでいます。
人生の転機となったのは高校二年生の冬、ウインターカップの県大会直前。
試合形式の練習中、後輩の選手と激しくぶつかってしまい左大腿部を負傷。
県大会は絶望だと思いました。
ウインターカップは3年生の最後の大会で負けたら引退となります。
なんとか先輩を全国に連れていきたいという思いがあり、
初めての鍼治療はとても緊張したのを覚えています。
それまでは一生バスケットと関わりたいと思っていたため、
しかし自分自身がケガをし、
高校卒業後、地元にある福島医療専門学校に入学に私の治療家への一歩が始まりました。
要領が良かったのかあまり勉強にも苦労せず、楽しい学生生活を送っていました(笑)
柔道整復師の資格取得後は鍼灸師の資格を取ろうと思っていたので、3年生の時鍼灸科入学の為の面接を受けました。
その時に、鍼灸科入学の許可と卒業後に学校の付属の治療院で働く事が決まりました。
いざ資格取得後に付属の治療院で働いてみると、想像していたよりもたくさんの問題がありました。
資格取得後すぐの柔道整復師とは、世間的には先生でもやっぱりペーペーです。
もちろん私もそんなに違いがありません。
そんな不安を抱えている中、1人の患者さんが
「先生若いね。私の体を師匠だと思って、頑張って治療してね」と言われました。
当時の治療院の環境は、誰かに色々教えてもらえるわけではありません。
どちらかと言えば放り投げられたような環境でした。
1人で治療を学んでいた私には、
患者様の一人一人が身をもって「治療とはなにか?」と言うことを教えてくれたお師匠の様な存在でした。
施術がうまく行くときもあれば、変化がないときもあり、もしかしたら痛みが強くなってしまった方もいたかもしれません。
そんな経験の全てがお師匠の無言の言葉として、私のなかに根付いています。
『初心忘るべからず』
私の座右の銘です。
中学生の時、顧問の先生によく言われた言葉です。
初心を忘れず、感謝を忘れず、今の私にできることをしっかりとし、毎日の施術をしっかりと行いたいと思います。
治療家、トレーナーを目指して16年。
まだまだ先は見えませんが、たくさんの人を助けられるよう今の自分に満足せず精一杯努力して行きたいと思います。
No.2:村田 奈津実
Natsumi Murata
初めまして、スタッフの村田 奈津美です。
宜しくお願い致します。
プロフィール
【名前】村田 奈津実(むらた なつみ)
【ニックネーム】なつ
【誕生日】6月27日
【趣味】DVD鑑賞 / Cafe巡り
【座右の銘】
「 諦めからは何も生まれない 」 「 前後裁断 」
「 患難 忍耐 錬達 希望 」
【好きな筋肉】上腕二頭筋 / 大胸筋
【好きなアーティスト】
清水翔太 / 山猿 / IDLMs.
【マイブーム】 スタバのカスタマイズ♪
経歴
- 福島県二本松市生まれ
- 二本松市立小浜小学校 卒業
- 二本松市立小浜中学校 卒業
- 聖光学院高校 普通科進学コース 卒業
- 2018年:尚絅学院大学 現代社会学科 卒業
- 2018年:福島医療専門学校 柔整科 入学
ヒストリー
私は小学校3年からバレーボールを始め、大学まで続けていました。
何となく始めたのがきっかけでしたが、中学・高校・大学はバレーボールをやっていたおかげで、受験に苦労することなく入る事ができました。
高校からはほとんど休みがなかったので、怪我も多く、痛みを抱えながらプレーしていました。
そんな時、仲の良い友人に紹介されたのが「桂はり・きゅう整骨院」でした。
最初は緊張していましたが、院長をはじめスタッフの先生方がとにかく明るくて、すぐに緊張が解けました。
治療して頂いて、痛みなくプレーできるようになったことに驚き、同時にこういう職業もあるんだと憧れを抱くようになりました。
進路は専門学校と大学で悩みましたが、もっと高いレベルでバレーボールをしたいという思いが強かったため、大学に進学しました。
いざ大学に進学してみると、思っていた以上に辛く、何度も挫折しかけました。
それでも「上手くなりたい」「勝ちたい」という思いで続けてきました。
しかし、大学4年の夏に選手とぶつかり右肩を怪我してしまいました。
「ただの打撲だろう」そう思って病院にも行きませんでした。
1ヶ月経過しても挙上ができず、そのまま最後のリーグ戦が開幕してしました。
さすがにおかしいと思い、病院に行き整形外科のDr.から「今無理してやったとしても12月の全カレまでもたないかもしれない」と言われました。
まさか自分がこんな怪我をするとは思ってもいなかったので、絶望的でした。
「このまま引退していくのか…」そう思いながら、私はチームをサポートすることに徹底していました。
試合3日前の練習中、監督から
「このまま終わっていいのか?」「やるしかないんじゃないか?」そう言われました。
戻れるなら戻りたいという気持ちはありましたが、後輩が主体のメンバーだったので、今戻ってもチームにとってはマイナスなのではないかという気持ちがあり、戸惑いました。
しかし、チームメイトは「おかえりなさい」と私を迎え入れてくれました。
この時「この子達、このチームの為に勝ちたい」という気持ちが芽生え、私は再びコートに戻ることが出来ました。
痛み止めの注射や薬、テーピングに頼りながら、12月の全日本インカレまでプレーすることが出来ました。
満足のいくパフォーマンスではありませんでしたが、それでも4年間の中で1番楽しくプレーできたので悔いなく大学バレーを終えることが出来ました。
引退後、整形外科のDr.と相談し、手術を受けることにしました。
術後はリハビリなどを行い、現在は日常生活においても支障がないまでに回復しました。
これまでは、自分自身がバレーボールを続け、指導にも関わっていきたいと思っていましたが、怪我をしたことで、怪我に悩むことなくプレーできることがどれだけ幸せで難しいことなのかを肌で感じました。
これがこの道を目指すきっかけとなりました。
「人の為になる仕事がしたい」という思いが次第に強くなり、大学卒業後はバレーボールは続けず、専門学校に進学しました。
現在は専門学校に通いながら、研修生としてお世話になっています。
今までバレーボールしかやってきていなかったので、勉強が心配ですが、頼りになる先輩が沢山いるので分からないことなどを聞いたり、教えて頂きながら成長し、立派な柔道整復師になるために頑張っていきたいと思います。
「誰かの為に」この思いがどれだけ自分自身を奮い立たせ、頑張る活力になったことか。
今後も「患者様の為に」という気持ちで、一人一人が抱える痛みや悩みに親身になって寄り添い、持ち前の明るさと元気で患者様をサポートできるよう日々精進してまいります!
これからよろしくお願いします!
No.3:本田 萌
Moe Honda
初めまして、本田萌です。
宜しくお願い致します。
プロフィール
【名前】本田 萌
【ニックネーム】ハル もえぴ
【誕生日】6月14日
【趣味】アニメ鑑賞と映画鑑賞
【好きな筋肉】程よい腹直筋
【座右の銘】
「意志あるところに道は開ける」
ライセンス
★柔道整復師
ヒストリー
私は小学3年生から友人のすすめでバスケットを始めて、気がつけば県で1番を争う強豪校に入学し、バスケット中心の生活を送ってきました。
初めて整骨院に通ったのは、中学生のときだったと思います。
膝の下の骨が夜も寝れないくらい痛くて思うようなプレーができない日が続きました。
顧問の先生からのすすめで整骨院を紹介してもらい通ってみると、すぐ痛みは治り練習に励むことができました。
そこの整骨院は、たくさんスポーツ選手が通っており院長先生やスタッフの方が、とても明るく優しく治療をしてくれて雰囲気の良いところでした。
高校生になっても練習量が増えケガをすることが多くなり整骨院にお世話になる日が多くなりました。
ケガも増え新入生が入ってくると少しずつ試合に出れる時間も減り、全国大会に出場できないこともあり、モチベーションが上がらない日が続きました。
「辞めたい」と思ったこともあります。
でもそんなとき整骨院の先生方に
「今、辞めたら後悔する」
「私たちがはやく怪我治してあげるからまた頑張ろう」と背中を押してもらいました。
私が高校3年間.バスケットを続けられたのは、整骨院の先生方のお陰だと思っています。
進路の時期が近づいてきて
「自分も整骨院の先生たちみたいに、スポーツ選手を支えたい」
と思い、専門学校に進学することを決めました。
専門学校入学と同時にお世話になっていた整骨院に研修生として入りました。
いざ整骨院で働いてみるととても大変でしたが患者さんが帰るときに
「ありがとうございました」
と笑顔で帰るのを見て
「この職業を選んでよかった」と思いました。
免許を取得してからも研修していた整骨院に就職しました。
1年目はまだ知識や技術が足りず、自分ではどうにもできないこともあり、先輩の先生方に頼るばかりでした。
研修生のときからお世話になっていたのもあり、ぬるま湯に浸かっている状態でした。
「なにかをどうにかして変えたい」
そう思ったときに、桂太先生に会いました。
桂はりきゅう整骨院のことを聞き
「頑張って取得した免許なのだから、環境を変えてまた頑張ろう」と転職することを決めました。
ずっとお世話になった整骨院を辞め、4月から桂はりきゅう整骨院でお世話になることになりました。
免許を取得して2年経ってるとは言え、まだまだ未熟者です。
新たな環境で新たな気持ちで、患者さんの笑顔が増えるように頑張りたいと思います。
「意思あるところに道は開ける」
これから宜しくお願いします‼︎
No.4:大田原 一暉
Kazuki Ohtahara
初めまして、大田原 一暉 です。
宜しくお願い致します。
プロフィール
【名前】大田原 一暉
【ニックネーム】たはら
【誕生日】9月30日
【趣味】資料漁り、Nissy鑑賞
【特技】秒寝
【座右の銘】点滴穿孔 無知蒙昧こそ人類 最大の悲劇なり
【好きな筋肉】大腿二頭筋
【好きな骨】鎖骨
【ブランド】Soirée O
【好きな食べ物】チョコレート
経 歴
- 青森市立小柳小学校
- 福島市立森合小学校
- 福島市立清水中学校
- 福島県立福島工業高等学校
- 福島医療専門学校 柔整科
- 桂はりきゅう整骨院 研修
- 福島医療専門学校 鍼灸
- 東京都目黒区自由が丘 おかだ整骨院 勤務
- 訪問鍼灸 心三里を開院(今は閉院)
- PEP鍼灸整骨院 勤務
- 桂はりきゅう整骨院 勤務
ライセンス
★ 柔道整復師(国家資格)
★ はり師・きゅう師(国家資格)
ヒストリー
小さい頃は病気、怪我をしがちでその為、大きくなったら人を治す人になりたい!!
と、漠然とですが夢を持っていました。
歳を重ねるにつれて明確にこの職を目指したのは高校生の頃です。
5歳の頃からサッカーをしていて高校でも勿論サッカー部に所属していました。高校3年のインターハイのファーストゲーム。この試合が僕の人生のターニングポイントとなりました。その試合僕は事前の怪我でMGとして参加していました。
ちょうどトレーナーの先生がいらっしゃらなかったのですが運悪くチームメイトが交錯プレーでピッチに倒れこんでしまいました。
すると監督から「たはらいってみてこい」と言われて駆け寄っていきました。いざ駆け寄ってみると尋常じゃない痛がりようで素人ながらこいつ大丈夫か?と心配になり思わず患部を露出してしまいました。ソックスを下げて患部を見てみると骨が見えていて(開放骨折)思わず僕がパニックになってしまいその子の親を見つけて「○○骨折れてる!!骨見えちゃってる!!」と言ってしまいました、、、、。
当然それを聞いた彼はパニックを起こしてしまい必死に声をかけてみたものの時すでに遅しという感じで「やっちまった」と思ったのを覚えてます。その夜その事をトレーナーの先生に報告すると途中自分は悔しくてやるせなくて申し訳なくて号泣してしまいました。。泣きたいの彼であろうに。。
すると先生から
「トレーナーの卵にもなってないんだからお前が責任を感じる事ではない。もし仮にお前がトレーナーになった時同じことを繰り返さなければいい」
とお言葉を頂き、その時明確にこの職を志しました。
「同じ過ちを繰り返さない」
彼への懺悔の思いを忘れず、今後その様な子達の不安を取り除けるように尽力しようと心に誓いました。
今でも壁に当たると当時を思い出して今の自分はあの時の彼を安心させ処置、治療、復帰までを含め少しでも早く、良く治せるのか、今ウダウダ悩んでる暇はあるのかと自分を奮い立たせてます。
その後、高校を卒業し福島医療専門学校でダブルスクールをしながら桂はりきゅう整骨院で研修をさせて頂き、無事トリプルライセンスを取得する事ができました。
その後紆余曲折ありしたが縁あって戻ってくる次第となりました。
皆様の笑顔の瞬間に少しでも寄り添えたらと思います!
よろしくお願いします!
No.5:鈴木 裕太
Yuta Suzuki
初めまして、鈴木 裕太です。
宜しくお願い致します。
プロフィール
【名前】鈴木 裕太
【ニックネーム】ゴボウ、ごぼちゃん、ごびー
【誕生日】9月8日
【趣味】スポーツなど体を動かすこと
【好きな言葉】「練習は嘘をつかない」「努力」
【好きな筋肉】大胸筋・内側広筋
【好きな骨】圧倒的に膝蓋骨
【好きなブランド】adidas
【好きな食べ物】ゴボウ料理はもちろん大好きです!
経 歴
- 福島県福島市生まれ
- 福島工業高校 卒業
- 2019年:福島医療専門学校 鍼灸科
ヒストリー
私は小学2年生からサッカーを始め、高校までサッカーを続けていました。最近はサッカーの友達が増えいろんなところでサッカーを楽しんでます。
今までのサッカー人生の中で一番怪我が多かったのは、高校サッカーでした。
その高校にトレーナーでついてもらっていたのが「桂はり・きゅう整骨院」の齋藤桂太院長で、いつも怪我をしたら整骨院で治療してもらっていました。
私は特に大きな怪我をすることはなかったのですが、捻挫や打撲などあまり大きく無い怪我をたくさん治療してもらっていました。
しかし、そんな小さな怪我でも真剣に向き合ってくれるスタッフの目と心に強く惹かれて、いざ練習などしていても痛みがだんだんとなくなっていくことを実感して、自分も「どんな怪我にも向き合いみんなを笑顔にさせたい」と思いました。
進路は特にやりたいこともなかった時期は大学でいいかと考えていた自分が、「自分がやりたいことはこれだ!」と思い専門学校に進路を決めました。
現在は専門学校に通いながら研修をさせていただいております。
高校時代はあまり勉強に熱心ではなかったので心配なことがたくさんありますが、先輩方が優しく教えてくれたり、また新しい事を教えてくれたりと毎日毎日がとても充実しています!
「患者様の笑顔のために」という気持ちを大事に、痛みや不安、悩みなどを自分の長所である元気と笑顔でサポートできるよう頑張りますのでよろしくお願いします!
No.6:尾形 藍子
Aiko Ogata
初めまして、尾形 藍子です。
宜しくお願い致します。
プロフィール
【名前】尾形 藍子
【ニックネーム】あいさん、とめ
【誕生日】3月22日
【特技】バドミントン
【特技】ドライブ、雑貨屋めぐり
【座右の銘】人は雰囲気を吸って成長する
【好きな筋肉】三角筋/上腕二頭筋
経 歴
- 福島県福島市生まれ
- 福島県立福島東高校 卒業
- 2012年:大原看護学校卒業
- 〜2019年:大学病院勤務
- 2019年:福島医療専門学校 柔整科 入学 桂はりきゅう整骨院 研修
- 2020年:福島医療専門学校 鍼灸科 入学
ライセンス
★ 看護師・准看護師
★ 第1種衛生管理者
ヒストリー
小さい頃から体を動かすことが好きで、水泳や陸上、バドミントンなどいろんなことに挑戦していました。
高校3年の時、小さい時から医療系の仕事につきたいと漠然と思っていたこともあり、実家から通える看護の専門学校へ入学し資格を取得しました。そして7年間、病院で看護師として働いていました。
仕事をしながらも高校から初めたバドミントンは続け、市の社会人大会などにも出場していました。
そんな中で、腰部椎間板ヘルニアになり、手術を経験しました。
手術により1番の症状は無くなったものの、立っていることの多い仕事を続けならでもあり、上手に自分の腰と付き合っていくことに悩んでいました。
そんな時、先輩に紹介されたのが「桂はり・きゅう整骨院」でした。
スタッフはみんな明るく声をかけてくれ、とても安心することができました。
私が「仕事もバドミントンも続けたい」
という気持ちを持ち続けることができたのは、ここを紹介してもらい、治療して頂くことができたということが大きいと思います。
現在は専門学校で柔整師、鍼灸師の資格取得のために勉強しながら、研修生としてお世話になっています。
進学には、
自分自身の椎間板ヘルニアでの手術をきっかけとして整形外科の分野に興味を持ち、もっと勉強したいと思ったこともありますが、
この院で治療をしている院長をはじめとした先生方の姿を見て、
「自分と同じように困っている患者様が仕事と運動のどちらも続けて行けるように、今度は自分がサポートできるようになりたい」
という思いが強くなったこともきっかけとしてあります。
今後、患者様の思いに応えて行けるように日々努力していきたいと思いますので、
よろしくお願いします!!